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2014年8月27日水曜日

なんだろ、カルシウムを飲んでるから?

何だか、今日は、幸福感が湧いてきた。

このコンピュータソフトウェアに携わってきて、これを仕事で生きていけているなんて、なんか幸せだなーって。何だろ。おかしくなってきたかな。脳。

なんか、仕事をすっかり終わって、さっぱりして寝る前のような感じ。なんだろ。この間隔。

イノベーション

革新、技術革新とか、なんか、新しい事を考えつく事。
 横文字を使うより皆が理解できる日本語か漢字熟語で言えないかな。何かピンと来ないんだよね。横文字。皆、理解してるのかな。
 どうして横文字を使うのか、何か格好いいとか。なんだろ。

外国でもコンピューター関連は造語が多いから大変なんだろうな。専門用語ばかりで、何がなんだか、マイクロソフトなんだろうな。まだGoogleの方が分かりやすいかもね。しばらくはGoogleが本流かな。

2014年8月26日火曜日

Windows9 プレビュー版公開

http://jp.techcrunch.com/2014/08/22/20140821microsofts-windows-9-unveil-said-to-be-coming-september-30/

本当なのかなこの話。Windwos7に戻るって。

Surfaceを購入したユーザはWindows9にするメリットは何処にあるのだろうか。7に戻るということはマウスとキーボードに戻るということだ。タッチしないということだ。どうするつもりなのか。

Windows8でデスクトップユーザを失い、Windows9でタッチパネルユーザを失う。もう誰も言うことを聞かなくなるだろう。Microsoftの終焉である。

Windows9がデスクトップならWindows7のままでいいと誰もが思うので、結局、企業はWindows7でいこうと思うだろう。Windows8も9も存在理由がなくなるのは目に見える。どうしたのかMicrosoft、Windows8は何だったのか。Windows9は何なんだろうか。

Windows7の何処がいけなかったのか。不満なんて無かったはずだが。そもそもがXPで不満は無かったのに、セキュリティとか何とか言ってサポートを打ち切ってしまい、出したのがWin8、この世の終わりのようなインタフェースで、批判殺到、批判に耐えきれずにデスクトップに戻る。結局シェアは下がるだけだろう。

さあ、みんなでLinuxに移行しよう。Microsoftに従う必要はない。

日本で必要なのは、エクセルとワードだけだ。このファイルのコンパチ製品が出れば何も問題ないのだ。MicrosoftはOffice製作部門を独立会社にして他のOSもちゃんと作らせろ。

Microsoftで生き残るのはエクセルとワードだけだ。

Microsoftがタブレット市場から撤退した訳ではないと言い張っているが、これで基本的にはタッチパネル付は撤収ということになるだろう、ペンタブレットPCというのが少し前に出ていたような記憶があるが、これと同じ道を歩むのだろう。しかし、ペンタブレットはデスクトップUIを壊したりはしなかったはずだが。結局、流行らなければ撤退するというMicrosoftのやり方では、将来タブレット市場に追いつくことはもうないだろうと思う。3年は遅れていたのに、これで10年くらい遅れることになるだろう。

ソフトの開発理念である、ActiveX、.NET、WPF(XAML)、HTML5、C#、J#とあまりにも出し過ぎた。また、共通性が全く感じられない。開発者が増えても、サポートも巨大化するだけ、環境を固定できないため、サードパーティからのツールもMicrosoftの製品毎でしかない。

Microsoftは口先だけの魅力広告でその地位を守ろうとしているが、そろそろ終わるしかないだろう。これだけGUIOSの基本を迷走させるのはメーカーではあり得ないことだ。

まあ、終わりはWin8で既に来ていたのだが。

Azureでモバイルアプリという記事を読んだ

全てをC#で記述することで、共通論理のC#ソースを使うことができるので、iPhone、Android,WinRTのアプリを作るのが簡単になるという話だった。UI部は結局はそれぞれのOSの特色をすくいきれないで、別々の定義が必要となるようだ。

JNIはどうしてくれるのだろう。JavaやC#では非力なのでCを使ってグラフなどを描くのは当たり前のこと。それはゆっくり動けというのだろうか。対応については一切語られていなかった。

そもそもだが、コアな部分のコーディングはCだろうが、C#だろうが、Javaだろうが、何だろうが、簡単に移植できるものだ。なぜなら、全てがC言語が元になった言語なので、それなりに一定のルールで移植できる。移植できないのはUI部だ。画面定義やコントロール(ビュー)といった、OSが用意した画面制御、またOSが用意した通信手段、OSが用意したI/O(ファイルを除く)が共通化できないのだ。

Azureは共通化できないところはプログラマ任せにして、共通化が簡単なコアロジックをC#で作らせようとしている。

実際、モバイル業務アプリにコアな部分がどれだけあるだろうか、まさか、モバイル端末でデータ解析でもやらせない限り、結果的には入出力を行っているだけである。主たる機能は出力であろう。文字入力は入力装置が貧弱なので大量の文字入力はできない。入力はGPSや加速度センサーと合わせた情報を取り込むのが向いているのだろう。結果的にコアな部分は小さく、入力と出力部分が大きなアプリがモバイルアプリである。その上でコアな部分を共通化して、各OSのかゆいところに手が届く部分のUIを削ってしまうようなAzureのモバイル開発に何の価値があるのだろうか。

業務アプリなら端末を限定して(OSのバージョンまで限定して)使わせることになるだろうから、AzureでiOS,Android,Windowsとそんなに多くのターゲットで開発する必要は無い。それとも、WindowsRTアプリが少ないからAzureに移行してもらって、WinRTアプリを増やして欲しいという考えなのか。もし、そういう考えが少しでもあるのなら呆れてしまう。

2014年8月25日月曜日

Nexus7のカバー

約300円、これは、安い。
使ってみる。

吉田調書公開か

公開するらしい。朝日新聞の記事だから、バイアスが効いているとして、、、

しかし、

 聴取対象者の調書は、本人が同意したものについては、第三者の権利を侵害したり国の安全に関係したりする部分を除いて、年内に公開する方針だ。

何を除くのか、東京電力の幹部の権利を侵害することも除くのだろうか。国の安全に関係するというのは何なのか。そんなレベルの話はたぶんないと思うし、除くかどうかの判断は誰が行うのかなど、全員の氏名や所属を公開して欲しい。

終戦の日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140816/trd14081613420016-n1.htm

終戦の日 全国から若者も 「英霊に手を合わせるのは当たり前」

東京都千代田区の靖国神社には15日、午前6時の開門とともに全国各地から参拝者が訪れた。戦没者の遺族が高齢化する中、若い世代の参拝者の姿も目立ち、厳しい暑さの中、額の汗をぬぐいながら、手を合わせて戦没者を慰霊した。

 「国のため亡くなった方々に『安らかに眠ってください』と思う日が年に1回あってもいい」。千葉市中央区の会社員、沢本豊さん(29)は祖父の弟がサイパンで命を落とした。16日で1歳になる長男、妻(29)と一緒に祈りをささげた。

 友人と初めての参拝に訪れたという静岡県湖西市の大学3年、吉田聖良(せいら)さん(20)は「幸運にも身内に戦死者はいない。だが、日本人として英霊に手を合わせるのは当たり前のこと。来たかいがあった」と満足そうに社殿を後にした。

なんだかおかしい。英霊という呼び名もそうだが、ここで祭られている人だけが日本のために死んでいったわけではない。他にも大勢の人達がつまり軍人以外の人達も戦争の犠牲になっている。その人たち全てに手を合わせるのが当たり前なのではないだろうか。もちろん、宗教を超えて。そのような施設を作ることが政府の役目であり、日本人の心を落ち着かせることなのではないだろうか。
私は靖国参拝をしないが、靖国自体を否定していない。もちろん、宗教家でもない。ただ、このような報道がされること、一部の意見だけを都合よく纏めて報道することには違和感を覚える。報道するなら、靖国肯定派と靖国否定派、どっちでもいい派などそれぞれの意見や状況を伝えるべきだろう。このように靖国肯定を既成事実にしていくような産経の報道姿勢は嫌いだ。ちゃんと考えさせられるような記事を書いて欲しいものだ。また、記事には記者の名前を入れて欲しい。無責任極まりない。

「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」

というのが姫路市にあるらしいが、これは空爆と限定されているし、姫路にある理由もこれを主導した組織が姫路発祥だからという理由。これもおかしな話だ、戦没者にレベルがあるわけではないだろう。何をもって分類しているのか。何をもってこの組織が全国組織だと言い張っているのか。よく分からない。

軍人が靖国だというのであれば、民間人全員の慰霊碑を作るべきだろう。東京が問題なら、各都道府県に一つずつとか。各1億円くらいあれば作れるでしょう。50億円くらいだせると思いますけど。それぞれの県出身の人たち、住んでいた人たちを含めての慰霊碑とすれば、誰もが何の嫌気もなく手を合わせることができるでしょう。思いはそれぞれでしょう。思いまで強制するような世の中に戻るようなことはないことも祈りたいです。