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2011年3月14日月曜日

計画停電だったのか

計画停電、何を計画したのかよくわからないまま終わった。明日は第3グループが6:20からということのようだ。グループを2つずらして、適用するのか。16日もそうするのかどうかは判らない。

電力需要予測はそんなに毎日変わるものなのだろうか。大概の量を予測しておけば良いのではないか。監督官庁が無理難題をおしつけているのだろうか。

まず、地域をグループに分けて、グループ毎に停電する。これはこれで良いだろうし、そのようにする以外ないだろう。グループと適用パターンは毎日入れ替える。このようなことを何故行うのか理由が分からない。毎日停電するかもしれない時間が異なるということだ。自宅と会社でこの時間を朝起きたら今日の時間を覚えるのか。便利か。平等なのか。

電車には電力供給する。となると、計画停電自体が無意味と言っているらしい。計画停電って、電力を平等に分けるという意味なの?そんな必要はないのでは。電車は公共性が高いため、優先的に電力を割り当てるのは当然でしょう。23区に停電を割り振らないことと同じでは。23区に振り分けないということで既に「資源エネルギー庁」の主張する計画停電にはなっていないと思います。電車を止めることになれば、大混乱して、会社が営業できないのは判っているはず。また、グループ分けしてローテーションするような方法をとると、全ての家で、夜間の対応のための乾電池、懐中電灯などを用意する必要がある。ローテーションしなければこれはない。既に懐中電灯や乾電池は店頭から消え失せている。

停電が与える影響を全く考慮できない人が考えたんだろうなと思う。平等をはき違えていて、地域に同じ時間の電力を割り振れば、割り振り側からみれば平等と言えるかもしれないが、それは割り振り側が後で文句を言われないように考え出したもので、平等ではない。全てに優先順位というものがあるはず。それを考慮して、社会全体の負担をなるべく少なくすることが平等なのでは、つまり、エントロピーの問題であり、単に時間を割り振るという問題ではないと思う。

無計画停電を計画しないでいただきたい。

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