平和とは何か。
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本来、平和学において、単に戦争のない状態が平和と考える「消極的平和」に対して、 貧困・抑圧・差別などの構造的暴力がない状態を平和と考えるものが「積極的平和」と 定義されている。
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現在の日本の積極的平和主義とは異なるようだ。
現在の日本の表現は自民党が1992年に提言した内容。
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提言の中では、「日本さえ平和であれば良い」という一国平和主義に加え、
「日本が軍事的活動を行わない事が国際平和に寄与する」とした考えを「消極的平和主義」と位置づけた。その上でこれらを否定し、日本国憲法前文の「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」に代表される理念を前提に、人道支援はもとより、場合によっては国連平和維持活動に代表される自衛隊海外派遣などの軍事的オプションを含む国際支援があってこそ世界平和が近づくという考えを「積極的平和主義」とした。
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そもそも、世界平和=世界的に貧困・抑圧・差別などの構造的暴力がない状態などを国連のPKOや自衛隊(軍隊)の国際支援で実現できるのだろうか。物理的に暴力や戦闘を押さえつけているだけで、それを維持することだけで『消極的平和』を実現するだけではないだろうか。
どんな世界を目指しているのだろうか。平和を目指すという言葉は心地よいが、実際の自民党の提言は湾岸戦争でお金しか出さなかったとアメリカに言われて、じゃ自衛隊も出すよっていうために作り出した、見栄を張るための提言としか思えない。
私は思う。
平和は各国、各宗教、各団体で求める姿が異なる。異なるものを積極的に押しつけるとそれは押しつけられた側は平和ではなくなる。
結局は自国とそのグループの利益の追求が平和の素であって、真の平和を求めるものではなくなるだろう。
積極的平和主義でイスラエルとアラブの問題を解決できるのだろうか。ISISは不都合だとみんなが言い出したので、ISIS殲滅に金以外の力を貸そうというのだろうか。ISISの自爆テロが卑劣だというが、神風特攻隊も自爆テロだった。その反省もないままにISISと対峙した場合、自爆テロを批判できるのだろうか。
結局は儲かるか儲からないかであって、それに対して、平和と言う言葉を使うのは失礼である。
日本の積極的平和主義は結果的に戦争の引き金になるだけである。
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