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2015年10月10日土曜日

シベリア抑留資料が世界記憶遺産に。

シベリア抑留に関しては当時のソ連側の問題もあるが、その後の日本の対応にも合点がいかないところが多い。

そんな文書を世界記憶遺産にして、喜んでいる日本人はおかしな人達だ。日本政府も歓迎しているらしいが、論理はどうなっているのだろうか。

そんな資料を登録しておいて、中国の南京事件(南京大虐殺)については文句をつけているようだ。南京事件に文句を付けるなら、日本側の持っている資料を見せて、中国側の資料の間違いを指摘すればいいのであって、間違った資料を登録するならユネスコの協力金を減らすなんて子供の喧嘩じゃあるまいし。

従軍売春婦の件も同じだが、日本側が正しいとする資料は日本側で公開するべきだろう。事実は事実として公表して何が悪いのか。妙に隠しているように見えるから疑惑を持たれるのだ。積極的に調査して公開するべきだろう。それが、大東亜戦争の清算ではないだろうか。

違うものは違うと、また、あれらは帝国軍が行ったことであると。A級戦犯を『悪』と認めて、責任は彼らにあるという論理にしない限り、日本は何かを隠していると言われ続けるだろう。A級戦犯が戦争犯罪でないとするなら、あの戦争の責任は誰にあるのか。なぜ、ポツダム宣言を受け入れたのか。

無茶苦茶だと言われても仕方ないだろう。

帝国時代を美しい日本というのなら、それは現在の安保理に刃向かうということだが、そんなことをアメリカが認めるとでも思っているのか。

アメリカに中国とロシアの盾に利用されていることが判らないのだろうか。その盾が自立を望んでも盾は盾だと言われるだけだろう。

このままアメリカの望む東アジアの泥沼に足を突っ込んでいくつもりなのだろうか。

この状態で現内閣の支持率が上がるという日本はどうかしているな。

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