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2016年2月2日火曜日

ヘイトスピーチは国辱だという評論家

ヘイトスピーチが国辱というのは、三流人権国家だと誤解されるかららしい。

しかし、実際に三流人権国家なのだから仕方ないだろう。

日本に人種差別が無かったと思い込んでいる理由は単に日本にはほぼ日本人だけしかいなかったとみんなが思っているから。アイヌや沖縄を日本人としたから。昔は朝鮮も日本だった。で、日本語をうまく話せないと日本人ではない、二流市民だとみんな思っていた時期があったようだ。もちろん、障害者らも二流だと思われていたようだ。この頃は人種差別というものは人種で区別する差別だと思っていたようで、日本に人種差別はないと思っていた。黒人を差別するようなことはないということだったのだろう。そして、欧米列強が黒人を奴隷として扱っていることを人種差別だと罵っていた頃があった。

ところが、現代では、そのように日本語が話せるかどうかや障害の有無、性や学歴で差別するのは、全て人種差別だと西欧から言われるようになった。日本語が出来ないことと劣っていることは違うということだ。

でも、日本では誰も理解していないし、実践していない。障害者は依然二流であり、外国籍で日本語をしゃべれない人も二流である。なぜか英語をしゃべると一流らしいが。白人崇拝か。英語に関しては西欧は人種差別だとは言わないようだが。逆に英語が通じないとかいう観光客は多いようだ。こいつら人種差別してないか?

こんな状況は、三流人権国家である。つまり、ヘイトスピーチが似合う国家だということだろう。

ヘイトスピーチを禁止したり、国の恥などという理論でおさえつけるのではなく、本来の、根拠のない差別をやめるべきだとおしえなきゃ。
でも、個人主義の西欧と団体主義の日本ではその差別の根源を定義するのは難しいだろう。日本は団体主義だから、別の団体の人々を画一的に批判する。その中には該当しない人もいるはず。しかし、団体として攻撃する。もちろん批判する側も徒党を組んでいる。

日本は徒党を組んで、別の団体を攻撃する。個人で何かできる人は少ない。なぜなら、何かしらの批判に火が付くと、擁護する人を含めて批判対象になるからである。いじめられている人の味方になると虐められるのと同じだ。

これが日本の人権社会だ。個人ではない。徒党を組んで虐めるということで愉しみを求める人の多いこと。

 これと同じ論理かな、、、暴走族、暴力団。徒党を組んで圧力をかけてくる。他の団体と喧嘩になる。これが基本動作。

で、間違いなく三流国家です。

ベッキーの不倫批判報道も三流報道、三流のコメントばかり。
アベノミクスを批判する輩に圧力をかける政府も同様。

SMAP解散はようわからんが、同じ理論じゃないかな。

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