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2016年6月26日日曜日

奨学金を返せなくて困っている人が増えていると

公立大学の授業料が上がったからだとか、、、

そんなわけ、ねーだろ!

単純に、大学出ても何もならないから、人気が落ちてきただけなんだ。その大学を出ていても使えない奴らが多すぎるから。なぜ使えないかって、だって、その人の目標が大学だったんだから、それ以後の就職するとか、何かをやりたいとか、無かったんだから。その世代の親がとにかく勉強していい大学に行けば人生保証されるような、そんな夢物語を信じていたのだからお笑いだよね。

で、使える人間を育てるために公立大学も金をかけるようにして、、、授業料を上げた。
それを批判する記事で、国が補助すべきだと。

そもそもそんな大学、価値がないなら、大学をやめるべきでしょ。閉鎖すればいいじゃないの。それでも閉鎖しないところを見ると、大学出てれば飯が食えるとか思っている親がまだいっぱいいる。高校教師もそんなことを思っている奴がいっぱいいるということでしょう。

世の人々に問いたい。あなたにとって大学は本当に必要だったか。単に4年間、社会に出ることを拒否していただけ、自分を甘やかしているだけだったのではないのか。格好つけて友達づくりだとか。じゃ、友達作って奨学金を返済できなくなって、友達が代わりに払ってくれるのかな。借金が人生を豊かにしたかな。

だから、大学なんか行かなくても問題はないんだ。大企業が雇わないって、そりゃそうでしょ。奨学金を返せないというのは大企業に入れなかったからでしょう。勝手な想像で大学に行ったら大企業に就職して安泰だというのは間違っているんで。

中小企業でも、零細企業でも、人生が楽しければ関係ないんだ。金がたくさんあっても幸せとは関係がないんだから。拝金主義(創価学会の主張だが)とかはやめるべきだ。人生、金じゃないんだ。

だから、奨学金を貰わなければ大学に行けないのなら、その借金の金額と自分の夢のどちらがどれだけ大きいかを比べてから大学進学かどうかを考えればいい。今の子どもたちはみんなが行くから、先生が行けって言うから、大学に行きたいのであって、自分が大学に入ってから何をしたいのかを考えている子はほとんどいない。その先にある自分が社会に出てから何をしようかということも考えていない。高校教師や大学の関係者、進学塾の先生もそれでいいんだ。大学に入ってから考えても遅くないという。この人たちは結局は自己の保身が目当てで、その道具として子どもたちを見ているから、こうなるのだ。

親もそれを信じて、自分の金でいくのなら、衣食住くらいは面倒みてやるみたいな取引が成り立ってしまうのだろう。結局は社会に食い物にされているだけなのに。

どんな会社でも、やる気のある人がほしいのだ。学歴で雇っているのは公務員だけだ。やる気がなければ意味はないのだ。だからどの人事担当者でも、やる気が一番だと思っている。人事担当者で保身に走る奴は、自分の責任にしたくないので、学歴などの本人の提出する書類で選ぼうとする。言い訳ができるからね。

近頃は舛添のような言い訳ができることを頭がいいとか言っているのかもしれないが、その子供じみた言い訳が通用すると思っていることが、今の世の中を生んでいるということなんだろうね。

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