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2014年5月16日金曜日

集団的自衛権と憲法解釈の変更

阿部総理の説明を聞いた。何だか都合のいい話ばかりだなと。それに、よく聞いていると、国民の命と財産を守ると言っているが、何となく金持ちの財産を守るために貧乏人が犠牲になって戦ってこいと言われているような気がしてきた。
 日本人を救出し移送中の米国の船が攻撃されたら、そばにいる日本の自衛艦が応戦するという。まず、日本人を米国に救出してもらう事が前提らしいが、何故日本が救出しないのか。次にその船を米国側は護衛無しで移送しているのか。または、その船は十分な戦闘能力があるのではないか。戦闘機なども応戦のために用意しているのではないだろうか。その状態で米国の船を攻撃するだろうか。そして日本の護衛艦と米国の船とが明確に区別されて、米国の船が攻撃されたと認識して、集団的自衛権を発動して、応戦するという事なのか。
 何だか意味がよくわからない。そのような事態は起きないだろうし、起こせないだろう。火力として圧倒的に米国が有利な場合で、自衛艦が協力可能な事は、応戦ではなく、補給や機雷の検知、掃海など航行の安全を図る事になるだろう。つまり、日本近海の水先案内だろう。日本の武器で応戦しても仕方ないだろう。空母でもあれば別だが。それとも、自衛隊の戦闘機を出そうという事なのかな。あれ?いつの間にかそばにいるのに見殺しという話から逸れてる。
 結局、この話は個別的自衛権で話は済むのであって、集団的自衛権とは、ここで日本の戦闘機を向かわせて応戦するというだろう。これを応用すれば世界の裏側まで戦闘機を向かわせる事が可能となる。何ならアメリカが主でなく日本が主となる戦争もアメリカと話し合って企てることが可能となる。
 拡大解釈をしないとか、平和主義を守るとか、限定的とか、何を言っても言い訳としか受け取れない。そんなに戦争をしたいのかと。

単に、外国との交渉で戦争のできない負け犬の国と言われたくないだけなのだろうが、今の時代なら逆に平和を追求しているのだ。武器を捨てよという国があっても良いじゃないか。この理想を追求しよう、と、平和主義を外国にも勧めるのが日本の本来の姿だと思う。
 じゃ、攻撃されたらどうするかと、今の所、ある程度は応戦するしかないだろうけど、今の状況で攻撃してくる国は無いでしょ。

 一番の問題は尖閣などの領海や国境線の問題で、これらを世界的に平和解決する策を考え実践する方法を日本が発信すべきだと思う。それにより一部の領土を失うことがあっても武力によらない解決方法を採るべきだと思う。
 日本は平和主義のはずで、尖閣は固有の領土だというのはいいが、中国が主張していることを話し合う場は持つべきだと思う。近隣国と何でも話し合って解決していくという態度を世界にアピールすべきだと思う。平和主義だと。それが積極的平和主義なのではないだろうか。

あと、消費税の切り替えで忙しい時に集団的自衛権の問題を出してくるのは火事場泥棒的なやり方だと思う。ちょっと卑怯な人達だなと。

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