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2011年1月18日火曜日

「ゆとり」をやめて「詰め込み」に戻る。

10年経っていないうちに「ゆとり」をやめることになった。「ゆとり」の結果も出ないうちに、「ゆとり」に意味があったのかどうかも検証せずに、「ゆとり」をやめることになるなんて。振り回された子供たちはどうすればよいのでしょうか。

「ゆとり」のままでも学力を伸ばす環境を作ることができたのではないだろうか。例えば、「飛び級」。

日本では横一線に並ばせることが平等ということになっている。このような平等からは、世界に打ち勝つような人材は生まれないだろう。「ゆとり」も「詰め込み」も結局は横一線。ついこの間、この横一線が崩れてしまったから「ゆとり」を求めたはずなのに、「ゆとり」の横一線を作ってしまい、勉強をもっとしたいと言う子にも「横一線」を求めてしまった。世界共通テストで順位が下がった原因を「ゆとり」のせいにして、今度はまた昔のように「詰め込み」に戻り、「横一線」を求め、子供に過負荷なことを求めることになっている。子供にとって、一番つらいのが「横一線」なのでは。「横一線」を求めているのは親だろう。

私の小さい頃は、「詰め込み」ではあったのですが、「落ちこぼれ」を認めていたので、みんなはそんなに強いストレスは感じていなかった。先生は一人しかいないので、黒板を向いているときは、こっちで何をしていても見逃されるものだった。【だるまさんがころんだ】状態だった。今の子供は大変だね。先生以外に見張り【副担任】がいるので、遊べない。授業がつまらないなら、おもしろくするという工夫もできない。工夫ができないで、「詰め込まれる」。ストレスが溜まりすぎて、家庭内暴力ということになりかねない。いじめと言われるものは無かった。だれかがヒーローになり助ける物がいた。

どこかで「ガス抜き」させてやらなければ。詰め込んでも使い物にならないのなら、意味はないでしょう。

それより、工夫しながら生きていける子供が増えた方がおもしろいよね。

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