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2016年3月1日火曜日

自動運転 日本は遅れている


日本の自動車メーカーの動きはどうなのか。トヨタ自動車は20年をめどに高速道路を走行できる自動運転の実用化を目標とするなど、各社も開発を競っている。しかし、「走る喜び」を掲げて車づくりを続けてきた自動車メーカーにとってグーグルが描く「クルマの未来」は容易には受け入れがたい。顧客の信頼を得るには時間も必要で、「今後10年は完全自動運転車は実用化されない」(日系メーカー幹部)と冷めた見方も残る。


実用化が遠いなんて事をメーカーが考えているなら、20年後は日本車は世界から駆逐されているだろう。『10年は自動運転車は実用化されないかもしれないが、最終的には全ての自動車は自動運転車となるだろう 』と言ってくれないと。日本が後追いとなれば、日本メーカーは、グーグルから権利を買わなければならなくなるだろう。寝ぼけるのもいい加減にした方がいい。
運転の楽しさをなんて言っているのは化石時代のアホだ。事故と隣り合わせが楽しいと感じるのはスリルを味わっているだけで運転とは関係無い。ジェットコースターでも同じだろう。運転だけを考えればドローンのモニター操縦のほうが迫力があるだろう。自分は安全なのだから。世の中にはそんなにスタントマンはいないと思う。それに、スリルを望む運転は無謀運転だろう。それを肯定するのはおかしい。

自動運転車には別の意味がある。現代に無い新しい乗り物ということだ。ドライバーがいないので、家族で酒を飲みながらでも移動できる。若いカップルならキスをしていてもドライブできる。ドライブと言わないかもしれないが。つまり、運転者付の車に乗っていることになるのだが、運転者は人ではないのでプライバシーは守れることになる。何をしていても大丈夫だ。

運転を愉しみたいという人にも自動運転を切って自分で運転も可能であるとしよう。しかし、自動運転機能は手動運転を監視しており、危険が迫れば自動運転機能が手動運転を切断するということになるだろう。それは自動運転というカテゴリの中なのかもしれない。スリルが無くなるので、楽しくないのかな。
 

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