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2014年8月8日金曜日

スカートの風 呉 善花

スカートの風 日本永住を目指す韓国の女たち(角川文庫) 呉善花

Kindleで400円弱だった。 読んでみた。面白かった。話がバブルの絶頂期に書かれているので、ちょっと古いので、現代の韓国とはまた一つ違うかもしれないが、根本に流れる思想は変わっていないだろう。

いくつか抜粋しておく。

韓国人のあくなき自己正当化へのこだわりも、プロセスを軽視し結果だけを尊重する意識も、こうした習慣と無縁ではない。旅行をして価値の多様性を学び、AからBへと移りゆくプロセスを楽しみ、またその体験を素直に貴重なものと自分の心に受け止めてうゆくことのできる日本人は幸せである。

日本人は内容に応じてどの器に盛るかを重視するが、韓国人にとって器は必要に応じて使用されるものに過ぎない事が多い。何事も入れ物を重視する伝統と入れ物にはこだわらない伝統、そこにも韓日の伝統の違いがある。(省略)新しい時代の勝利者たる西洋のキリスト教を、自らの宗教性を盛る器として選んだ韓国人は多かったが、日本人のほとんどがそれを器としてはふわさしくないものとして選ばなかった

家族の情愛や親子の愛を大切にするのはどこの国でも同じだが、韓国の場合はそれを、目に見える物質的なもので示さなくては意味のないこととされる。言葉や態度はもちろんのこと、何らかの物質的な与え合いをより重視するのだ。この価値観はまさしく、見るべき無形文化財をほとんど持たない、李氏朝鮮文化の根本にあるものだと思う。

なるほどねえー、少し理解したような気がする。従軍慰安婦問題で、最初は謝れ、金が欲しいのではない、気持ちの問題だと言っていたのに、河野談話が発表されると、金をよこせと言い出す気持ちは純粋に韓国人の気質なんだなーっと。それを要求することが正しいことなんだなー、あの国では。とにかく、物質的なものを奪い取ることが謝罪を受け入れるということなんだろう。日本人では到底考えつかないことだが。

また、韓国語に受動態がないということも、面白い国(言語)だなーって、思った。受け身の表現がなくんて、人の気持ちを理解することができるのでしょうか。人の気持ちを理解しようとしないならその愛情とは幼稚な愛情でしかないのでは。自分の思い込みだけで押しつける愛情か。不思議な国だな。

食文化で韓国は何でも混ぜてしまうビビンパが代表的な料理で、日本料理は食べるものをそれぞれの器に分けていれ、それぞの味を楽しむという下りがあるが、ちょっと違うと思う。日本人は口の中で混ぜるだけで、結果的に混ぜて味を複雑に変えながら食べるのは同じだ。日本人は別盛りなので個人で好きに混ぜ具合を変えたり、調味料を加減したりして味をかえることができるだけだ。同じようなことが書いてあった。韓国では本社が決めたマニュアル通りに支店の隅々までやり方を統一するが、日本ではあまり目の行き届かない支店や、やり方が異なる支店は、本社のマニュアルをそこまでは徹底しないで、独自に運用する場合がある。これは個人が口中調味しているようなものだろう。マニュアルに従わないのが良いことか悪いことかは別だが、それが日本人だと思う。しかも、マニュアル通りに運用できないのなら、本社に報告すべきところを、反感を買うのはイヤだと言って、運用方法を変えてしまうところが日本人らしいかな。言い訳が通用すると思っているからね。それでも事故が起きないのは、個人個人が熱心に仕事をしているからであって、近頃のように外国人を使ったり、下請けに丸投げしたりしていると、事故が起きる可能性が高くなるよね。

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