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2011年3月12日土曜日

昨日の予定は東京で打ち合わせだった。

昨日は午前中は自社(神奈川県相模原市)で作業し、午後からは東京(台東区台東)に行く予定でした。11時半頃会社を出て、駅に向かっている途中で、東京の打ち合わせ相手から急用ができて、出かけなければならないので、今日の打ち合わせは中止したいとの電話が入った。このようなことはこの取引先とは珍しいことでは無い。打ち合わせ途中でも、急に現場に呼び出されることがあり、当然、打ち合わせは中止になっていました。

仕方なしに、翌日(今日)の作業の準備をすることになり、駅ビルの100円ショップで、結束バンドなどを購入して自社に戻りました。自社は高層階にある事務所なので、午後2時45分頃にあの大きな揺れが来ました。最初は数日前の揺れ程度だったので、ゆらゆら揺れて気持ち悪いねと同僚と話をしていたら、なんだか、揺れが収まらないで、だんだん強くなってきて、!東海地震か!と思ったが、東海地震ならもっと揺れるような気がしていた。インターネットは宮城県沖という表示。パソコンが揺れるのを押さえて、2分間我慢していました。事務所の構造上、上から物が落ちたりしないので、机の下に隠れるほどではありませんし、建物が崩れるようでは、地面からの距離的にダメなので、立っていましたが、非常に揺れました。

10数分後にインターネットで調べてみると、震度5強、太平洋側の東北地方は震度6以上でした。壊滅しているだろうなと思いました。

自宅が心配になり、早退して帰宅しようとエレベータ前に、、、当然、止まっていました。外階段で地上まで降りて、車で自宅に向かいました。3時半頃。

自宅までの交差点では信号は全て動いていて、地元のFMラジオで聞くほどの被害ではないなと感じながら、自宅に到着しました。

家では家具が倒れるでもなく、置いてあった荷物が散らばっている程度でしたが、嫁さんが怖がっていて、帰ってきて正解だったかなと思いました。子供たちは集団下校かお迎えか判らなかったのですが、中学生の子が帰ってきたので聞いてみると、小学生は親といっしょに帰っているのを見たとのことで、学校に迎えにいくことにしました。本来は小学校では緊急連絡網といって電話でスレッド的な連絡を取り合う方法を採っています。しかし、昨日は電話は一切繋がらなかったので、連絡の取りようがなかったのです。小学校からのメールが来たのは夜6時、勝手に迎えに行ったのは4時頃。集団下校して欲しかった。

JRと私鉄が全て停止している。電話も繋がらない。これで東京に行っていたらパニックだったかな。家族のことを心配しただろうな。すこし運が良かったかもしれない。近くのスーパーに買い物に行ったら、停電していた。その側の交差点の信号が消えていた。次のスーパーに行ったら、平常通りで、何もなかったような感。運が悪ければ、自宅も停電だったかな。

これまで生きていて、こんなに大きな揺れを感じたのは初めてだった。生きているうちにこんなに悲惨な状態が起きるとは想像していなかった。原発も危ない。これからどうなるのだろうか。

亡くなった人、怪我をされた人、未だ連絡がつかない人、、、私は何もできないで、ニュースだけを見ている。まだ、この災害の実感がない状態だと思う。

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