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2015年11月20日金曜日

イスラム教徒の人たちが言う。

私達とISは違う。という。
しかし、究極の選択を行う事になれば、イスラム側を選択するはず。究極の中ではISと同じ事にならないのかな。

話し合いが通じないといっている人がいるが、ISも単にテロを楽しんでいるわけではなさそうなので、話し合いの余地は有るだろう。彼らから見れば、アメリカやイスラエルの方が聞く耳を持たない野蛮な奴らだと思っているのではないだろうか。

テロリストはテロを目的としているのか、戦術としてテロを選択しているだけなのか。目的のないテロであれば、まあ、話も何もないだろう。戦術としてやっているのなら、話し合いができるはずだ。目的は別にあるのだろうから。

確かにテロは卑怯なのかもしれないが、選択としてテロ以外になければ、その集団としてテロを選択してしまうだろう。

オウム真理教は、話し合いも何もなく、勝手にテロを起こしたようだ。彼らこそ本当の意味でのテロリストだろう。彼らは自分たち以外の集団を許さなかった。そういう宗教だった。

キリスト教が他の神を許しているだろうか。イスラム教がアラー以外の神を許しているだろうか。この二つの集団は戦争をするしかないのである。
逆に言えば、これらの宗教は覇権利用に持って来いなのである。

で、話は戻るが、イスラム教徒は、最終的にはテロリストとなる可能性があり、キリスト教徒も立場が変われば同じようにテロリストとなりうるのである。



しお

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