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2015年11月29日日曜日

そうだね。地方創生

◆地方創生 何のため
 昨年から始まった地方創生(まち・ひと・しごと創生)は、各自治体で地方版総合戦略の策定が進められ、来年からいよいよ本格的に始動する。

 地方創生の目的は何か。日本社会の人口減少対策であり、その中心的な要因として東京一極集中があげられている。

 もっともその手法はしばしば仕事づくりや地方移住に偏っており、これで本当に人口減少阻止につながるのか、違和感がある。そもそも移住は人が右から左に動くだけ。また仕事を増やせば人口が増えるのなら、東京で最も人口が増えてなければならないはずだ。まして東京に本部を置き、地方に号令をかけて競わせるというやり方自身が東京一極集中だともいえる。このような手法で地方が再生し、人口が回復するとは思えない。まずは地方分権を推進し、中央集権を緩めるところから地方創生はスタートすべきだ。

 もっとも「仕事がないから人口が減る」というのは、地方の側でしばしば口にする台詞(せりふ)だ。政府の示す対策はただそれに反応しただけといえなくもない。

 だが地方に仕事がないというのは本当だろうか。仕事はある。農地は余っている。製造業もサービス業も人手がなくて困っている。それどころか戦前生まれが平均寿命に達し、今まで高齢者だからということで年金プラスアルファで引き受けてもらってきた低次産業の仕事に穴があき始めている。耕作放棄地はその象徴だ。誰かが引き継がなければ社会が成り立たなくなる仕事になり手がなく、誰もが就けるわけではない希少な仕事に若い人びとは就きたがっている。実態は仕事がないのではなく、若い人が就きたい仕事が地方にはないと言う方が正しい。

 こうした事態の背後には、若い世代ほど進んだ高学歴化がある。大学を出てこの仕事には就けないというわけだ。とともにもう一つの序列もある。それは中央-地方間にある序列だ。

 同じ仕事でも、東京にある仕事と地方にある仕事では、東京の仕事の方が上という感覚がある。農村から都市へ、地方から中央へ、人が移動するのはそれが上昇を意味するからであり、逆方向は「都落ち」だ。この〈中央‐地方〉観に従って私たちは日々暮らし、様々な人生上の決定をする。その集積の果てに、東京一極集中が現れているのである。

 こうした序列感覚こそ、今回解消すべきものだ。この解消は序列の上からは提起できない。風上にいる人は自分の既得権益にしがみつくものだ。地方創生は下から始めなければならない。そのための自分自身の価値変革こそが、まず私たちには試されているのである。

その通りだと思う。まずは、東京に集まって何がおもしろいのかってことを考えよう。人の真似をすることが楽しいかどうかってこと。田舎で、変な恰好して変な人に思われるのは嫌って、東京は自由だからって、それって、自己主張じゃなくて、みんながやっていることなんだよね。

自己主張したかったら、廻りの人間を全て敵に回しても、自己主張しようよ。しばらhくやってれば、みんな理解してくれるってば。

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