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2014年5月8日木曜日

一部を見ればそうかもね。

http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304155604579547191304074068.html?google_editors_picks=true

欧米の個人主義の教育をされていれば、ただ沈没していく船にそのままいるようなことは無かっただろうと、欧米の新聞が書いているようだ。そうではなく、パニックを避け公共心を持って行動しようとしたのだから、あの行動は正しかった。ただ、大人側が受け入れられなかった。という記事。

個人主義の教育をされていれば、セウォル号は出港できなかったと思う。誰かが当局に言いつけていただろう。当局も無視出来ない状況になっていたのではないだろうか。かといって個人主義がアジアにマッチした正しい方策かといえばそうとも言えないだろう。

アジアは人口が多い。植民地を作ろうとしても欧米が反対した。逆に植民地化されそうになった。個人主義を持ち出すのはもっと地球が広いか、欧米人が地球上にいなくなれば可能かもしれない。個人主義になると欧米人が人種差別を始めるだろう。そもそも個人主義が優れているというのは欧米人の人種差別から来ているのではないだろうか。自分が一番優れているという発想は間違っている。それぞれが優れているのだ。単に気がつかないだけなのだから。しかし、気がつかせてあげるということも必要ではない。あるがままで、悲惨なことは時間が解決するだろうし、再発を望まなければ、改善されるのである。個人主義でも儒教でもなんでもない。

 解決したいかしたくないか、再発を許すか許さないかである。

望むことが大事。

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