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2015年9月12日土曜日

何を言っているのか判らない

このよくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?
という記事。
私の中では益々混迷を極めています。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

まず、#は井のパクリか?と。
 もし、今の時点で#が存在せず、新しく#を作ったら井のパクリだと言われると思う。互いに相手を知らずに作られて使われてきたという歴史があるのでパクリではないと思う。文化の違いがパクリの判定をするのではなく、後出しで似ているかどうかがパクリの判定をするのだと思う。
コンセプトや文化ではなく、見た目が似ているかどうかでしょう。
コンセプトで判断されるのなら、S氏の原案でも成り立つでしょうし、何のために商標権や著作権があるのか判らなくなります。文化でオリジナリティが説明できるのなら、中国のパクリ文化を批判できなくなるのではないでしょうか。日本もその昔は西洋のパクリをやっていたのですし。
 
単純に後出しで似ている物があればパクリと言われても仕方ないでしょう。それがどうしたのか。似てないとか、パクリではないとか、言い訳自体が虚しいとは思わないのでしょうか。素人100人のうち90人位が似ていると思えば、パクリと言われても仕方ないでしょ。本当に知らなかったとしてもパクリ批判には甘んじるべきで、妙な言い訳を始めても、後付けは後付けだと言われるだけでしょう。

で、それではデザインが成り立たないというのであれば、成り立たないのでしょう。そういう仕事をしているので仕方ないとしか言えません。デザイナーの為にこの世が存在しているのではないので。

 デザイナーはこう思うという説明のようですが、デザイナー村の常識というか、こう言わないと沢山の仕事が出来なくなるからというデザイナー側の稼ぐための言い訳を説明されてもね。土建屋が談合は必須だと言っているようにしか聞こえないです。それをあたかも正当な理由のように説明されても、受け入れられませんね。

ギャップを埋めるのではなくて、溝を深めるだけだと思います。この記事に共感している人たちは、理解してあげようという心の優しい人達でしょう。私なんか性根が曲がっているせいか、奇妙な論理を展開されると批判的になりがちですから。前提条件を呑めないというか。その前提条件自体に違和感を覚えてしまうので、よくわかると言われても、何がよく解るのか。

それにしても、デザイナーはあのオリンピックロゴと劇場マークが似ていないと本当におもっているのでしょうか。勿論、見た目の話です。

デザイナーは物事を解決する事、新しい価値を産み出すことが仕事のようですが、エンブレムをデザインするという仕事から考えると、見た目が似ていないことが第1の要件としてあると思いますよ。新しい価値を産み出すには。似ていないことがエンブレムの存在価値であり、他と区別する唯一の手段だと思います。エンブレムの成り立ちを説明して貰わないとその価値が理解できないし、エンブレムの見た目は他のすでにあるマークと似ているでは問題解決になっていないのではないでしょうか。エンブレムを見る人は説明書を読む訳ではありませんから。

話は変わりますが展開力とか言って、アルファベットを表現できるというのであれば、エンブレムの下にあるTokyo2020をそのアルファベットで記述すれば良かったのではないでしょうか。説明を受けるより見た目で理解出来ると思いますけど。いや、それなら、エンブレム自体もTではなくTokyoをアルファベット表現すれば良かったのでは。大文字小文字で躍動感もでるでしょう。小文字はないんだっけ。まあ、私からすれば展開力は後付けだったのではないかと思うだけです。デザイナーメモを公表すればという意見もあるようですが、そのような段階的なデザインであればあのようなデザインにはならなかったのでは。段階を踏んで作られたものであれば、IOCから修正を要求された時点で、無理な要求であれば次点のデザインにするべきだったのではないでしょうか。次点がどのようなものかは知りませんけど。

またまた話は変わるけど、第二案で、躍動感が無くなったと言われてるけど、あのパターンではアルファベットを作れないから展開力がなくなるのは困るという事ではないでしょうか。展開力だけで選ばれたロゴなのに展開力が無くなったら魅力も何もなくなるからでしょう。何か別の力が働いたとしか思えませんね。

第二案の躍動感が無くなったという話がありますが、素人の私が見るとどの案も静的で躍動感なんて感じることが出来ませんが、どのあたりに躍動感が見受けられるのか、どこかに解説しているサイトは無いのでしょうか。円が強調されているからでしょうか、であれば64年のエンブレムには躍動感は全くないですね。原案は強いて言えば矢印のようなものが見えるので、動きがあると言えばあるかも。最終案に躍動感を見出すには、、、、無理があると思うが。ま、素人ですから、躍動感についてはよく判りません。

そもそも、躍動感が無くなったと指摘したのは誰なんでしょうか。
審査員は既に管轄外だったはずで、JOCの誰かが指摘したのでしょうか、素人の。

やっぱり、謎が多すぎますよね、デザイナー業界は。



しお

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