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2013年8月5日月曜日

集団的自衛権は合憲だって。

http://www.asahi.com/politics/update/0805/TKY201308040235.html

安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は集団的自衛権の行使容認を提言する方針を固めた。あわせて軍事行動を含む国連の集団安全保障への参加も認める。いずれも憲法解釈を変更して可能とすることを求める報告書を年内にもまとめる。
 安保法制懇の座長である柳井俊二元駐米大使は4日のNHK番組で「今までの政府見解は狭すぎて、憲法が禁止していないことまで自制している」と指摘。「集団的自衛権の行使は憲法上許されている。国連の集団安全保障への参加は日本の責務だ」と述べた。
<後略>
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そんな適当な解釈ができるような憲法は改正した方が良い。過去の解釈が狭かったとか言わないで、憲法を変えたいと言えばいいのに、この変な人が出てきて、あれもこれも可能と言い出したら戦争も可能になるだろう。事実、集団的自衛という名目で戦争を開始できるのだから。つまり、これは宣戦布告していないしされていない。自国の領土を守るための行為である。自衛なので、尖閣諸島に近づく船は攻撃し飛行物体は撃墜するということが言えるようになってしまう。第二次大戦を始める時もいろいろと世界の常識をゴネ廻して適当な国を作って、その国にある日本の鉄道という資産と自国民を守るために軍が派遣され、破壊活動をしているとして治安活動まで始めたという経緯があるのにどうなってるの。

本当に過去の事を反省して、戦争を放棄しようとしているとは思えない。それなら憲法を変えて戦争ができる国にすればいい。国民がしたくないというのなら政治家は従わなければならないのだ、それが主権在民なのだから。昔のような臣民がいてお上の言うことを守るという国に戻したいのならそのように宣言して戻せばいいのに。

曖昧が日本の文化だという者が居て、この裏でこそこそすることを曖昧文化だという人もいるが、それはおかしい。おかしいことをおかしいと言わないで済ますことは曖昧ということではない。それは単に役人側が言い訳として使っているだけで、誰もが気づかないままいつの間にか憲法が変わっていて戦争する国になっているようでは第二次大戦を経験した国とは思えないほどバカな国だと思う。

しかし、これも自民党を選んだ国民側に問題があるのだから仕方ないか。

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