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2013年8月7日水曜日

集団的自衛権か。

自衛隊は軍隊だとして、憲法では国家間の問題解決に武力は用いないし、これを持たないと明記している。攻撃された時の問題解決として自衛するのは良いのだろうか。攻撃されないように互いに武器は捨てようと国家間で話し合って、武器の確認をしあっておくべきだろうか。

武器は捨てることは可能でいつでも捨てるよという憲法としておくのが良いのか、いや武器は持たないよというのが良いのか。武力で解決しないというと中国のようなヤクザ国家がちょっかいを出してくる。日米安保があるからちょっかいを出さないというのなら、日米安保が無かったら、破棄したらどうなるのか。中国は連合国側なので、国連側である。日本は国連の言うことを聞くとのことで、中国の言うことも聞いてアメリカの言うことも聞くのだろうか。

何がなにやら訳判らない状態。

最終的にどんな国にしたいかということであろう。スイスのように20歳までに3ヶ月の兵役(訓練)を実施、5年毎に1ヶ月の訓練を実施する程度の民間兵も作っておかないと、いつかの大戦の時のように素人に特攻ばかりさせることになるのではないだろうか。それともアメリカのように職業軍人と犯罪人集団の海兵隊を囲っておいて、言うことを聞かない国をいつでも攻撃できるようにしておくべきだろうか。日本の国境はほとんどが海であることを忘れてはいけない。やはり空軍と海軍を強くしておくことが大事だろう。陸軍は自衛にはほぼ無益だろう。日本国内で戦争するのは得策ではない。狭い日本を戦地にすると、田畑や施設が荒れ果ててしまい、復旧に時間がかかるだけだ。そこで勝利を収めても失うものが大きすぎる。日本は海と空で戦うべきだ。その上で各国に学ぶべきことは多いと思う。

憲法論議は、安保ありきでない発想から始めるべきで、自衛隊がいるからそれを軍隊にして、現状に合わせようなどという、できちゃった婚みたいな情けないマネだけはしたくない。それはずるずると軍国主義者の罠にはまっていくようなものだ。目的を持って、実践できるような、そんな憲法にしてほしいし、しなければならないと思う。

抽象的な言葉の共通認識が万人のものではないことは明らかで、選挙では良いように聞こえた抽象的な約束が実際に実施される時は妙な条件がついたりして、一部の者の利益にだけかなうようなことになっている。これは常なのだが、あまりにも露骨なことはやめてほしいものだ。国旗国歌法案のようなマネはやめてほしい。そんなに国民はバカではないのだから、意見ぐらい言わせてもらいたい。

一つの意志で発案された自民党の憲法であるなら、一部がダメなら全部ダメという結論を持つべきで、あそこは良いがここはダメのような評価はやめた方がいい。一言一句修正しないかその案を捨てるかくらいの気持ちを持つべきだと思う。一部を修正すると目的を損なう恐れがある。また矛盾がでてくるのは間違いない。で、自民党はちゃんと説明すべきだと思う。地域毎の利権を考えているようでは憲法論議はできない。目的は統一されているのだろうか。まさか、、、美しい日本じゃないよね、阿部ちゃん。それは抽象の極みだよ。

ところで、冷戦時にロシアからアメリカが攻撃を受けたとき、日本は自衛隊がロシアを攻撃していたんだろうと思う。ロシアは日本の米軍基地を狙ってくるだろうから、その時点で日本の領空を侵犯することになり、それに対応するために日本の自衛隊はロシアと戦闘しなければならなくなるから。これは自動的に行われたはず。また、米軍基地を狙ったミサイルを無視することもできないはず。米軍基地といえども最終的には日本の国土であることは間違いないし、基地内に到達するかどうかも判らないので、国内に着弾するのなら基本的には打ち落とすことになるだろう。
 今更もって、集団的自衛権というのはどういう場合を想定しているのか不思議でならない。

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