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2013年12月27日金曜日

靖国神社参拝

旧憲法下での戦争のための神社として作られたもので、靖国に祀られたくない人も強制的に名前が入っているという不可思議な神社に参拝するのはちょっとおかしいのではないだろうか。

 自民党は以前から国家管理に戻そうとしているらしいが、なぜ、このような神社が必要なのか。人が戦争のために死んで、神様になるという発想はそれで良いのか。死んだら死んだまでだろう。戦争で死を良いイメージ化しようとするために存在するものではないだろうか。

 戦争でも死なないことが栄誉であり、それ以降の日本を作っていくという必要があると思う。戦争で死ぬことが良いことのような扱いをするのはおかしいだろう。死んで素晴らしいことなどないだろう。

 戦争で死んでくれたから現在があるというのなら、戦争後に経済を立て直し、一生懸命に働いた人々も現在を作っているのではないだろうか。死んだら偉いわけではない。生きて努力するほうが偉いに決まっている。死んだらそれでおしまいだ。だれが死んで欲しいと願ったのだろうか。それは軍の上層部だろう。特攻隊などという自爆テロを教えて、国家のためとか。軍の上層部のためだけにいたずらに国民を殺してしまったのではないだろうか。日露戦争でも単に突撃をさせて大量殺人をしたのは自軍の司令官ではなかったか。特攻隊を始めるくらいなら、戦争をやめるべきだった。戦争に負けてしまった原因追及もしない。大勢を殺してしまった問題追及もしないで、東京裁判は不正だと言い張る。本当に問題なのは何だったのか、考え直そうともしないし、それを研究しようともしない。

 靖国復活を画策しているのは何故か。何をしたいのか。美しい日本には靖国が必要なのか。なぜ、死を美化するのか。そもそも死を美化しているのは人権が無いからではないだろうか。臣民は天皇のために生きているのであり、臣民の命など天皇に比べたら屁のようなものという考えからきているのではないだろうか。しかし、天皇の廻りにいた人達は自分たちが天皇側だから、臣民の命をもてあそんでいいと思っていたのではないだろうか。それが自民党の政治家たちなのではないだろうか。自民党全ての人がそうであるとは思わないが、自民党を支えている人達は基本的にはそれに合意しているということなんだろう。それは北朝鮮の体制と何が違うのだろう。

 選挙で選んだ人が多いのだから仕方ないが、なんともイヤな世の中になってきたもんだ。平和の名で戦争を始めるのは昔からの常套手段だからね。自国の平和のために他国に攻め入る。積極的平和主義=>戦争開始の合図だろう。

 PKO参加ももう少しよく話し合って、何をどこまでするのか、本当に必要としているのか、国連委託主義で良いのか。国連の常任理事国が武器を売って、内戦を起こしているのに、同じように武器をもった国連部隊がそれを収めに行く。武器商人が儲かるだけではないか。南朝鮮の国連の事務総長は賢くないな。自分の身がかわいいだけなんだろうな。その程度の事務総長の方がやりやすいのだろう、どの常任理事国も国連が機能しない方が自国の儲けが増えるのだろうから。

 韓国は問題外だが、中国が文句をつけるのは仕方ないと思う。だって、戦勝国なんだし、日本は無条件降伏したはずだし。国は独立したかもしれないけど、国内の安全保障はアメリカ任せだし、自国で安全保障を考えたときにどうするべきかということも考えていないようだし。

 靖国神社参拝という手を使うのは卑怯だと思う。正当な手段と分かりやすい説明を先にするべきで、その説明で靖国復活というと票が減るのを心配して公言しないことにしているのだろうけど。靖国神社に参拝する政治家はやっぱり卑怯だと思う。逆に単に票を集めるためだけに参拝しているのであれば、卑怯というより、愚劣といった方が良いかもしれない。

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