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2013年1月24日木曜日

教育再生実行会議:教育再生へ本格議論 いじめ対策、集中的に

http://mainichi.jp/feature/news/20130124dde001010028000c.html

 実行会議の終了後、下村博文文部科学相と座長の鎌田薫早稲田大総長が文科省内で記者会見した。いじめ対策について、メンバーから「児童虐待防止法にあるような通告義務が必要」「学校と警察の役割分担をはっきりさせるべきだ」などの提言があった。また体罰について「何が体罰にあたるかガイドラインを示すべきだ」という意見も出たという。

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 そもそも『いじめ』が何故おきるのかといことを検討した方がいいのではないだろうか。起きにくくすることが大事なのではないだろうか。『いじめ』に通告義務をつけてもどんどん陰湿になっていくだけで通告するとかしないとか関係ないだろう。学校と警察の役割分担というが、『いじめ』とは何を指すのかが決まっていないのに何をしたら警察で、何をしたら校内という判定をするんだろう。誰がその判定をするのか、通告するのも何を見たら、何を聞いたら通告する義務が生じるのか。
 法律で縛ることしか考えつかないのか。こんな議論をやっても仕方ないだろう。『いじめ』がなぜ発生するのか、心理的に社会的に組織的にあらゆる角度から見直すべきだろう。

 自分と異なる者、異なる考えを持つ者に対し違和感を覚えて、それが怒りに変わり、『いじめ』に変わるのか。単純に愉快さを求めて『いじめ』が始まるのか。なぜ『いじめ』が愉快なのか。

学校にもカウンセラーが必要なのではないだろうか。日本版カウンセラーは老人というのはどうだろう。先生以外に教室に老人を入れよう。生徒が気軽に話しをする。ただの爺と婆を教室に入れておこう。無謀な先生、教室で騒ぐ子供達、これらを見てどう言うだろう。この爺と婆を学期毎に入れ替えて、第三者が意見を聞く。連続二期はできないようにして。

 慣れてくれば『いじめ』はなくなるんじゃないか。小学校、中学校の各教室に。先生も手を抜けないだろうし。つまらない授業をすると爺と婆は寝てしまうかもしれないし。いびきをかいて寝られたらさすがに先生も反省しなけりゃならない。聞いててつまらんからだ。
生徒は、学校外の人間がいるというだけで少しは静かになるだろう。休み時間に話をする生徒も出てくるだろう。今は核家族が多いから爺や婆は珍しいかもしれない。自分の祖父や祖母に会いたくなるかもしれない。

 新しい風を学校に入れる。しかしその風は懐かしいにおいのする風だ。必要なのは新しい風と癒やしだろう。生徒も先生も。こんな爺まで生きていたいと思うかどうかだ。格差も感じるだろう。それでいいんじゃないかな。色々なことを考え始めれば『いじめ』はなくなるだろう。

頭のいい人が多いんだから、ちゃんと会議して欲しいものだ。全ての問題の解決方法の最善策は問題が起きないようにすることだ。 対処ではなく予防だ。予防を十分にやって、発生したら対処を考える。その後に予防に不備はなかったのかという検討をする。こうやって問題は撲滅するのだ。

しかし、『いじめ』の予防策は『ゆとり』ではない。ゆとりを始めてから『いじめ』も酷くなったようだし。いや、『いじめ』でなくて恐喝、暴力、強要になってきたけど。『ゆとり』は落ちこぼれをなくすのが目的だったかな。落ちこぼれをなくすなんてこと自体、無理な話で、そんなことを無理強いするから軋轢が発生するんだ。落ちこぼれでも芸能界で活躍している人もいるし、ヤンキー先生という訳の分からん者でも生活することができているではないか。落ちこぼれがなんだというのだ。問題ないだろう。世の中、落ちこぼれていく人はたくさんいるんだから。それを全て救うのは無理だ。それでもそれなりに生きていくのだし、幸せは人ぞれぞれなのだから。お金が一番という拝金主義とか公務員は落ちこぼれるのは人生の敗北かもしれないが、一般人は落ちこぼれても敗北ではないのだから。
 今回も役人や拝金主義の輩が会議しても何も解決に至らないだろう。ますます軋轢が生まれて救えない世の中になるだろう。まあ、この安倍総理はどうしようもないお坊ちゃまなんだなと感じる。自分が正しいと、自分のようになるのが人々の幸せなのだと思い込んでいるようだ。この人は解決策は持ち合わせていないようだ。人に任せて良い結果なら自分の収穫、悪い結果は同意しなかった廻りの責任とか。

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